2020/4/4 1月か2月あたりに留まっている心
何ヶ月も更新していなかったブログを親愛なるわたしの後輩ちゃんからの一言で書く(書いてシェアする)意欲がまた湧いてきた。大学のファンデーションコースのときに毎日リフレクティブジャーナルというものを書かされていたことを思い出した。ただ書くだけじゃなくて、大学内の自分のサイトみたいなところにシェアしなきゃいけなかった。(他人に見られないように非表示にすることも可能だったようだが。)あのときは苦痛だったけれど、今になったら制作、自分の考えを客観的に見るためにめちゃくちゃ重要なことだったと分かる。それを今もできる限り続けようとしていたけれど、すっかり怠っていやした。ノートに書いてはいたのだが全然シェアしていなかった。なのでここに書かれている内容はわたしが1月に思ったり感じたりしていたことです👅↓↓
(1月のことを2月にノートに書いたもの)
日本で冬を過ごすのは約5年ぶりのことなので冬の音、冬の匂いすべてが新鮮に感じる。
もう一ヶ月以上前のことになるがどんど焼きに行った。冬の行事を久しぶりに体験していて、その中で感じたことをメモしていたがちゃんとまとめていなかったので今更だが。小さなころにお正月の飾りに付いていたエビ🦐さんを焼きたくなくて泣いた記憶がある。あとは木の枝(ヤマボウシの枝らしい)に付いたまあるいおもち。それが特別なものに見えたしめちゃくちゃ美味しかった。
どんど焼き。各地によって呼び名は異なるらしいがわたしの地元はどんど焼きとみんな呼ぶ。
点火から見るのは初めてで、人々が棒の先に火を灯してそれを組まれた竹に近づけ、いっせいに火を着けていてるのを見て、イギリスで観たミッドソマー(Midsommar)という映画を思い出した。その映画では恐怖と神聖さが入り混じっていて不思議な感覚にさせられたのだ。どんど焼きにもその要素が感じられた。火、鳥居、カラフルなお餅、老若男女。そして元気いっぱいに子どもたちが枝を持ち走り回り、火がどんどん大きくなっていく光景は「儀式」という言葉がぴったり合うようなものだった。どんど焼きとミッドソマーから感じた神聖さと恐怖。恐怖と言っても人間による人工的なものから感じるものとは違う、居心地の良い恐怖感だ。(ミッドソマーの序盤とその前にやってた他の映画の予告からは人工的なものからくる苦手な恐怖感じた。)