14 長い長い冬が溶けても風が吹く

14 長い長い冬が溶けても風が吹く

庭に生えている桑の木は葉っぱが全部落ちてすっぽんぽん。昨年の緊急事態宣言中にお蚕様を飼育したときなんかは、緑の葉をたわわに付けていたのに。また葉っぱが付いてそれが地面に落ちて腐葉土になるんだな。今日、父の耳の後ろからなぜか血がたらりとたれていたときに、これも生きている証だ、と言っていたけれど庭の桑の木の変化にも生きているんだなあ、と改めて思わされた。変化って恐ろしくもあるけれどおおきな安心感もある。

ロンドンの思い出のバー、大好きなレストラン、よく行ったカフェ、もうないのかもしれない、と最近は心の中でしくしく泣いている。
でも住んでた家の前に生えていた大きな木々や、フロイトんちにあった桜?梅?の木はまだそこにあってこれからもずっとずっとあるのだろうな。(愚かな人間が切ったりしない限り)
東京よりもロンドンのほうが住んだ年数が長いので、いつもいつでもロンドンが恋しいし行けることなら今すぐにでも行きたい。当分行けないので、そういうときはよく行っていた場所やお店(閉店後で誰もいない室内)にわたしひとりでいる想像をしてみたりするのだけれど(なぜか子供の頃から夜や閉店後にひとりぽつんといる妄想をすると落ち着く)、一番落ち着くのはどんなときでもいつも同じ場所にいた植物や木々たちのことを思うことだ。どんなに人間がめちゃくちゃになっても、めちゃくちゃにならない奴ら。弱々しさの中に強さが宿っている感じがたまらない(植物の生存戦略にもえる)。