5 お家時間 未来は明るい

5 お家時間 未来は明るい

2年前の夏に、目黒の古民家で展示をやったとき。暑い中いろいろな人が見に来てくれて、さまざまなフィードバックをもらった。お母さんのお腹の中にいたときに聞こえる心臓の音を流していたので、展示を見終わって玄関から出るとき、産まれた!という感覚になるね。と言っていた人、他には、久留美ちゃんは現象学をみてみたら?存在論をみてみたら?など何やら難しそうなことを言っていた人もいた。

確かにわたしの制作には、時間と存在が大きく関わっていると思う。時間と存在といったら存在と時間を書いたハイデガーさん(Martin Heidegger)。その本は今のわたしにはめちゃめちゃ難しくて全部読めていないが、以前図書館で借りた本(タイトル今思い出せないので後日確認しなきゃ)に分かりやすく存在への問いについて書かれていた。

以下わたしが要約した文章。↓

人間が人間に、また企業や政治が人間に対するとき、人間は非人間化されてしまうことがある。存在への問いはそのようなことが起きないためにも、人間にとって存在との関わりが重要だということを明らかにするのだ。

人間は無のうちに宙吊りにされているようなもので、つねにサスペンスの気分、さまざまな不安を感じている。これが人間が機械、動物、また神としてではなく人間として生きていくことなのだ。芸術や宗教もここから生まれてくる。

もしこの真相から目をそらすのならば、そこから人間の非人間化が始まる。

なので、肝心なことは答えが出なくとも存在への問いを続けるということだ。答えを出すためではなく、ひたすら問い続けることが大切なのだ。

人が、企業や政治から非人間化されつつあるいま現在のこの混乱の世の中(特に日本)ではこのことが特に重要になってくるのではないかと強く感じる。不安から目を背けず、不安を不安であると正しい認識をして伝える/制作することを忘れたくない。